野々原茜の弱さのお話

※今回も企画参加記事ですが、単独でも読めます。 

 

どうも、企画がないとブログの記事を書かない男

北見道人です。

 

今回参加させていただいている企画は

やきゅさん(いつも企画ありがとうございます)の「たんあいがたり -natsu-」

の8月23日分です。

企画の詳細は↓をごらんください。

たんあいがたり企画書

 

「めんどくさい話をしまっくていいよ」

と言われたのでめんどくさい話をします。

自分で読み直しましたがマジでめんどくさいです。ご注意ください。

 

 

 

前回の記事は、みやまえさんによる北沢志保さんについてのお話でした。

北沢志保のお話 - みやまえの雑日記

あかしほは!いいぞ!

志保メインコミュや(みやまえさんもほんのり触れていましたが)SSsコミュなど茜ちゃんは志保にウザがらみしていますが、

絡まれながらも一緒に過ごしているうちに茜ちゃんへの理解がすすみ、

茜ちゃんメインコミュで志保の茜への信頼につながっているあの感じ、最高ですよね!

 

おっと長くなりそう。

 

さて本文です。

といったものの、茜ちゃんの何を書きましょうか

何を書きましょうね。

 

茜ちゃんの好きなところですか。

まず可愛いところです。

茜ちゃんは顔が良い~~~~~って感じじゃなく

\ウザカワイー!/

って感じが合うと思うの

カワイイ。 

 

ウザカワイイ、と言えば輿水幸子ちゃんも上がりますね。

彼女も好きです。(担当ではないです)

この二人はウザカワの代名詞として語られていますが、

私は、この二人はかなり対極にあるウザカワイイだと思うんですね。

 

とある人は言いました。 

幸子と茜のカワイイは

メロンとメロンパンぐらい違う

と、正直これ例えが天才だと思います。

(元ネタのツイートが見たい方はtwitterで「茜 幸子 メロンパン」)で検索しよう

 

何が言いたいかというと、

幸子はナチュラルボーンウザカワ

茜ちゃんはア・ポステリオリウザカワ

(ア・ポステリオリ=ラテン語で後天的なの意味。注:正しい使い方ではない)

です。

幸子ちゃんについては真剣に考察したことや、カードやテキストの収集を行ったことはないので有識者にそんなことはないぞ!

と言われそうですが

 

おそらく幸子ちゃんの人格形成には両親祖父母からの尋常じゃない愛があったのだろうと思います。

根っから自分がカワイイと思い続けて中学生になれるって本当にすごいです。

それは、幸子が持つ天性の信じる道を行ける強さと、

それを後押しするだけの自信となる愛情をを彼女に与え続けてくれた、両親や、彼女の幼少期の周り方たちによる賜物でしょう。

他の子の方が優れている?知ったことか、それでも私はカワイイんだ!

って思えるような強さを持っているように思います。

彼女は根に強さを持った、カワイイです。

 

茜ちゃんはそうなのでしょうか、ミリシタでのこれまでの経緯を見て、

茜ちゃんが幸子ちゃんと同じようにナチュラルボーンウザカワである

と思っている人はあまりいないのではないでしょうか。

 

茜ちゃんはあくまでみんなを笑顔にするために行動しているような部分があります。

それは、良い意味では、非常に強い一面としてとらえることが出来ます。

強い一面的な意味でのみんなを笑顔にって話は過去記事でしましたので、

今回はめんどくさく弱さとしての行動基準の話もしましょうか。

 

 

彼女は人が悲しむ姿にとてつもなく弱いから、

自分が道化師役をやろうとする。

みなさんは、他の人が悲しい想いをしていて、自分が何もしないことによる罪悪感を感じたことはないでしょうか。

何もしない、というのは努力の放棄です。

努力を放棄する、という能動的な行動を自分がとったことで、相手は悲しい想いをし続けています。

相手の悲しみは想像することしかできませんが、その想像は酷く

自分のこころをむしばみます。

そこから自分を守るために、人は思うのです。

 

 

        でも、私にはどうすることもできなかった。

 

 

自分が行動することで何か変えられたかもしれなくても、

そこで悲しい顔をしている人を笑顔にする対価が、

リスクを冒すのに見合うだけの見返りとならないのなら

それは立派な行かない理由です。

そうやって、人は自分を守ります。

 

しかし、先ほども言った通り、優しい人というのは、

人の悲しい出来事を無限に増幅させて想像してしまいます。

さらに残念なことに、人間は、他人の悲しみは想像することしかできないですが、

自分の悲しみは正確にわかります。リスクは固定です。

そうすると、悲しい顔をしている人を放置する行為のデメリットが

優しい人の中で大きくなりすぎてしまい、

行動することの見返りと釣り合ってしまうんです。

 

釣り合ってしまったのが、彼女、野々原茜じゃないかと私は思います。

彼女がウザカワキャラとして、人を笑顔にできれば

みんな幸せです。

みんなは笑顔になる、

彼女は少し悲しい想いをするだけで、人の悲しい顔を見ないですむ。

 

幸せですかね?

 

 

 

 

幸せですかね?

 

じゃあ彼女に幸せになってもらうってどういうことなんでしょう?

 

彼女にそれをやめさせる?

--それは彼女に人の悲しい顔を見せ続けることになりませんか?

 

世界から悲しい顔をする人を0にする?

--そんなことできるんですか?

 

彼女の前に悲しい顔をする人が現れたら彼女より先に道化を演じる?

--それが出来るほどあなたは強いんですか?、そしてそのあなたを見て彼女は悲しまないんですか?

 

じゃぁどうすればいいんでしょうか。

私ができることは、

 

彼女を全部見ててあげる

 

それしかないんじゃないかと思います。

 

彼女が道化を演じる様をひたすら近くで見て

彼女が抱えたものを"知って"あげること。

 

これは甘えです。逃げです。

自分が彼女のようにできないから

"彼女の戦いを気にも留めず忘れる"

という

"能動的な努力の放棄をしない”

という受動的な行動をとっているだけです。

 

しかし、これが一番彼女に必要なんじゃないかとも

私は思うわけです。

 

彼女がみんなで"幸せ"になっていく様を

ひたすら見て、近くにいて、そしてたまに彼女の辛い思いを受け止められる人

そんな人が、彼女の側にいること。

それが、彼女が「人の悲しい顔を見ることに弱い」という弱さから逃げる上で

一番大切なことなのでは、と思うのです。

 

そんな人は別に一人ではなくて構いません。

むしろ一人でも多い方がいいと思います。

おそらく彼女の家族、親戚、幼いころからの友人、そして

アイドルになってからはシアターの仲間たちも

そうなってくれています。

プロデューサーだって、その一人でいいと思うのです。

 

私は、彼女を近くで見てくれている人が増えることを望みます。

 

 

まずは、この記事を読んでくれたあなたが

茜ちゃんを近くで見てあげている人の1人になってくれればと思います。

 

すさまじくめんどくさい話になってしまいました。

なんだこれ、自分語りも甚だしい。

最初書こうと思ってた話はこんな話じゃないんですが。

 

 

明日はShio-Pさんが木下ひなたについて語ってくださるそうです。

実は私は北海道出身なので

ミリシタで彼女が北海道出身と知って

同郷なのかーと驚いたのを覚えています。

追記:Shioさんの記事(連ツイート?)が上がっておりました

こちらになります。↓

https://imastodon.net/web/statuses/102668221387397218

 

 

では、また何かの企画で(おい)